うにぶろっさむ
登れない登れない。 登れないのなら浮かべばいいじゃない! ふろーとふろーと
2013
January 27
January 27
Then what? それでどうした。
考えていることをかえりみるときに使う言葉らしい。
自分のでた結論に対してこれを投げかけると苦しくなる。
構造的に論理的であったとしても、それが正しいとは限らない。
そういうものを見つけるためにこの言葉を使う。
また、出た結論がどういう結果をもたらすのか、それを追求するために必要となってくる。
それがどうした、この言葉は安易な結論でとどまろうとする自分を刺してくる。
考えるとはとても楽しくて同時にとても辛いことだ。
それまでの答えを否定することになる。
今までの自分の考えを否定する、それはまるで自己否定のようにすら感じるからだ。
-これは思考実験であり、実際の自分は否定されていないが-
先を考えると言うことは想像力によるものだ。
どこまでメタ思考であるか、考えることの発端になったことはある問題に対する答えを出す上でだ。
それを一段階上の思考で答えたとして、それが何の解決になると言うのか。
そのメタ的手段を取れる場合、発端となる問題はそも発生しないだろう。
ただ、ほんとうにそれが取れない手段なのかを問うには良い手段ではある。
考えていることをかえりみるときに使う言葉らしい。
自分のでた結論に対してこれを投げかけると苦しくなる。
構造的に論理的であったとしても、それが正しいとは限らない。
そういうものを見つけるためにこの言葉を使う。
また、出た結論がどういう結果をもたらすのか、それを追求するために必要となってくる。
それがどうした、この言葉は安易な結論でとどまろうとする自分を刺してくる。
考えるとはとても楽しくて同時にとても辛いことだ。
それまでの答えを否定することになる。
今までの自分の考えを否定する、それはまるで自己否定のようにすら感じるからだ。
-これは思考実験であり、実際の自分は否定されていないが-
先を考えると言うことは想像力によるものだ。
どこまでメタ思考であるか、考えることの発端になったことはある問題に対する答えを出す上でだ。
それを一段階上の思考で答えたとして、それが何の解決になると言うのか。
そのメタ的手段を取れる場合、発端となる問題はそも発生しないだろう。
ただ、ほんとうにそれが取れない手段なのかを問うには良い手段ではある。
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