うにぶろっさむ
登れない登れない。 登れないのなら浮かべばいいじゃない! ふろーとふろーと
2010
May 02
May 02
はなぢとともにおきるわたし。
きょうはちちおやのめいにちだったります。
なんていうか、ちちおやはがんでした。
父は3月のころから入院してました。
私は父のことが正直嫌いでした、なのでうるさいやつがいなくなった程度にしかとらえていませんでした。
死ぬ一週間前に、母親から父はガンを患っており、もう一月も生きられないかもしれないと聞かされました。
私はなんかその時は何も考えられなかったのですが、後で学校の先生のところで泣きました。
その一週間後、父は母親が家に戻っている間に病院で息を引き取りました。
ドラマとかでいきなり死ぬことを家族に言うシーンとかあるじゃないですか、それは劇の中のことだと思っていました。
ましてそんなことが自分の家で起こるなんて想像できなかったです。
私は父のことが嫌いでした。
恐ろしかったのです。
父は体格もよく、仕事もできる人でした。
そのうえ努力家で私からしてみれば雲の上の人でした。
そんな父が私は恐ろしかった。
でも私はそんな父が大好きなのかもしれないです。
ある種のファザコンかも。
おかげさまで父と似たタイプの人と触れ合うのは苦手ですが、みてるのは好きになりました。
何が書きたいかは分からないですが、かなりの間、父のことを考えていなかったので、それに対する代償の挽歌としてここに残そうと思います。
なんていうか、ちちおやはがんでした。
父は3月のころから入院してました。
私は父のことが正直嫌いでした、なのでうるさいやつがいなくなった程度にしかとらえていませんでした。
死ぬ一週間前に、母親から父はガンを患っており、もう一月も生きられないかもしれないと聞かされました。
私はなんかその時は何も考えられなかったのですが、後で学校の先生のところで泣きました。
その一週間後、父は母親が家に戻っている間に病院で息を引き取りました。
ドラマとかでいきなり死ぬことを家族に言うシーンとかあるじゃないですか、それは劇の中のことだと思っていました。
ましてそんなことが自分の家で起こるなんて想像できなかったです。
私は父のことが嫌いでした。
恐ろしかったのです。
父は体格もよく、仕事もできる人でした。
そのうえ努力家で私からしてみれば雲の上の人でした。
そんな父が私は恐ろしかった。
でも私はそんな父が大好きなのかもしれないです。
ある種のファザコンかも。
おかげさまで父と似たタイプの人と触れ合うのは苦手ですが、みてるのは好きになりました。
何が書きたいかは分からないですが、かなりの間、父のことを考えていなかったので、それに対する代償の挽歌としてここに残そうと思います。
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