うにぶろっさむ
登れない登れない。 登れないのなら浮かべばいいじゃない! ふろーとふろーと
2011
August 12
August 12
・エタバトのセット配置
同時にチェックを入れた場合、左にあるカードにチェックされる。
あんまり気にならない問題だけど、強欲で謙虚な壺の実装によって、右側にカードが行くので、一番右側にあるカードは、加えたカードであることが多い。
ハリケーンを打った場合、たぶんだけど右にあるカードからバウンスされていくので、伏せてある位置と逆になる。
まぁ、ごうけんで神めくった相手にサイクぶちこむのは気持ちいいです。 ってくらいなんだけど…、結構致命的じゃない?
そもそも遊戯王のルールだと同時セットは不可能だから、出来ないことを悪用してるんだけどねぇ…。一応裏技の類になる気がする。
・ブログの設定。
ブログ書くとき一行ずつ開けた書き方するけど、ほんとはbr2回はいけないらしい…。
気にすることないのかもしれないけど、レイアウトで行間を開けるとかしたほうがいいのかなぁ…。
個人的にはきょーこさんのブログみたいな罫線ぐらいの大きがすき…。反空さんのはブログの行間を開けなくても見やすいね。
同時にチェックを入れた場合、左にあるカードにチェックされる。
あんまり気にならない問題だけど、強欲で謙虚な壺の実装によって、右側にカードが行くので、一番右側にあるカードは、加えたカードであることが多い。
ハリケーンを打った場合、たぶんだけど右にあるカードからバウンスされていくので、伏せてある位置と逆になる。
まぁ、ごうけんで神めくった相手にサイクぶちこむのは気持ちいいです。 ってくらいなんだけど…、結構致命的じゃない?
そもそも遊戯王のルールだと同時セットは不可能だから、出来ないことを悪用してるんだけどねぇ…。一応裏技の類になる気がする。
・ブログの設定。
ブログ書くとき一行ずつ開けた書き方するけど、ほんとはbr2回はいけないらしい…。
気にすることないのかもしれないけど、レイアウトで行間を開けるとかしたほうがいいのかなぁ…。
個人的にはきょーこさんのブログみたいな罫線ぐらいの大きがすき…。反空さんのはブログの行間を開けなくても見やすいね。
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2011
August 12
August 12
二つの相反するものがあったとして、どちらかを強引に押したとき、それを目的とするものは成立しなくなる。
…説明下手ですね。
例えば、環境を守るために鹿の保護、つまり狼やその他の外的を殺したりしましょう。
一見、環境は守られたように見えますが、その結果としておきるものは、鹿が増え、餌となる植物を食い荒らして、環境を破壊することです。
これは、環境を守るために、「鹿を守る」以外の部分を否定をしたから、発生したことです。
つまり、何かの目的を行う時に、下の要素の一つだけを抜き出してやっても、その目的は達成されないってことです。
あー…否定をしちゃいけないってことじゃないです。
否定をすることで、問題を認識したりできるので。
ただ、それが絶対にダメと決めつけるのは、リスクが大きいってことです。
後は相いれないことは本当に相いれないだけなのかって問題。
例えば私は学生だけど、学生であるということは同時に、他のいかなる職業でもないってことになる。
けれども、私は学生である前に人間であるから。人間であれば何かの職業でもなれる可能性を持つ。
そういう風に、例えば~人、~生まれみたいな、個別のことはどんどん上位のものにシフトすることで、それらを内包することができる。
この考えを考え付いた人は、これを繰り返して、人間一人一人の問題をそもそも考えない、人間という種として…いや、すべてのものをもつ人間を作りだそうと考えていたみたい。
この考えだと、個別の人間はどうでもいいみたいなことになるから、逆にどんどん小さいことに進んでいくのもすごい大切なんじゃないかなって思う。
マクロかミクロに偏ったら、目的は崩壊するって、これで定義されてるしねぇ。
木を見て森も見れるようにならなきゃ、意味がない。
でも、片方だけで認識することはすごい楽。
~だから~っというのが広まるのは当たり前。
…説明下手ですね。
例えば、環境を守るために鹿の保護、つまり狼やその他の外的を殺したりしましょう。
一見、環境は守られたように見えますが、その結果としておきるものは、鹿が増え、餌となる植物を食い荒らして、環境を破壊することです。
これは、環境を守るために、「鹿を守る」以外の部分を否定をしたから、発生したことです。
つまり、何かの目的を行う時に、下の要素の一つだけを抜き出してやっても、その目的は達成されないってことです。
あー…否定をしちゃいけないってことじゃないです。
否定をすることで、問題を認識したりできるので。
ただ、それが絶対にダメと決めつけるのは、リスクが大きいってことです。
後は相いれないことは本当に相いれないだけなのかって問題。
例えば私は学生だけど、学生であるということは同時に、他のいかなる職業でもないってことになる。
けれども、私は学生である前に人間であるから。人間であれば何かの職業でもなれる可能性を持つ。
そういう風に、例えば~人、~生まれみたいな、個別のことはどんどん上位のものにシフトすることで、それらを内包することができる。
この考えを考え付いた人は、これを繰り返して、人間一人一人の問題をそもそも考えない、人間という種として…いや、すべてのものをもつ人間を作りだそうと考えていたみたい。
この考えだと、個別の人間はどうでもいいみたいなことになるから、逆にどんどん小さいことに進んでいくのもすごい大切なんじゃないかなって思う。
マクロかミクロに偏ったら、目的は崩壊するって、これで定義されてるしねぇ。
木を見て森も見れるようにならなきゃ、意味がない。
でも、片方だけで認識することはすごい楽。
~だから~っというのが広まるのは当たり前。
2011
August 12
August 12
てぃるなさんがやってて、きょーこさんがやってて、はんくうさんがやってて、かえでさんもやってたのでやってみました。
http://www.seikakushindan.info/personality/go.php
http://www.seikakushindan.info/personality/go.php
2011
August 09
August 09
不安定を経て、もっと上位の安定を得る、というのが弁証法です。
そして、それが今の基本的な考え方です。
二つのこと矛盾することが自分のことにあった場合、片方の考え方を強行すると、もう片方の結果になって、しかも悪いことに運んでしまう。
二つの矛盾することは、実は共存できる。共存するためには、もっと大きな概念を導入することが必要なのです。
で、大きな概念になると、一時は安定するんだけど、やっぱりまた矛盾が起きて新しい概念を得る必要がでる。
そして人は成長していくみたいな。
だから、不安定になるのはしょうがない、安定する時もある。
だから、私はふらふらすることで、自分をコントロールしたい…な。
哲学的な理論だけど、人には周期があるっていう考え方に近いし、感覚的な流れもとかも、その周期のことを示しているとするなら、同じなんだろうねぇ。
常にフルパワーはできないから、ゆったりと行きましょう…。
そして、それが今の基本的な考え方です。
二つのこと矛盾することが自分のことにあった場合、片方の考え方を強行すると、もう片方の結果になって、しかも悪いことに運んでしまう。
二つの矛盾することは、実は共存できる。共存するためには、もっと大きな概念を導入することが必要なのです。
で、大きな概念になると、一時は安定するんだけど、やっぱりまた矛盾が起きて新しい概念を得る必要がでる。
そして人は成長していくみたいな。
だから、不安定になるのはしょうがない、安定する時もある。
だから、私はふらふらすることで、自分をコントロールしたい…な。
哲学的な理論だけど、人には周期があるっていう考え方に近いし、感覚的な流れもとかも、その周期のことを示しているとするなら、同じなんだろうねぇ。
常にフルパワーはできないから、ゆったりと行きましょう…。
2011
August 07
August 07
ブログを介して返信的なことすると、平安時代の和歌によって返す感じがするw
なんて言うか、自分のものとして後に残るのが大きいのかな?
相手を特定しない、厳密には返す相手は見えてるわけだけど、ブログだけ見ると相手との関係が薄くなるのも一つの要因かな?
直接いうこともいいけど、自分の考えをまとめられるブログでの返信はなかなか好きです。
ちょっとずるい気もしますがw
なんて言うか、自分のものとして後に残るのが大きいのかな?
相手を特定しない、厳密には返す相手は見えてるわけだけど、ブログだけ見ると相手との関係が薄くなるのも一つの要因かな?
直接いうこともいいけど、自分の考えをまとめられるブログでの返信はなかなか好きです。
ちょっとずるい気もしますがw